inkcube.org代表のMemorandum

インクジェット,3D,その他テクノロジーについて.

デジタルプリンティング

インクジェットや電子写真によるプリンティングを「デジタルプリンティング」と総称することがある.
いつからこのように呼び始めたかはわからないが,例えば原稿からの反射光で直接感光体に潜像を形成していたコピー機をアナログ複写機とし,これに対して潜像を形成するためのレーザーやLEDによる露光をデジタルで制御する複写機をデジタル複写機と呼ぶなど,電子写真やインクジェットのプリンティングプロセスの信号処理をデジタルで処理し始めてからそのように呼ぶようになったのだと思う.現在はアナログ複写機は商品としては存在せず,その代わり印刷市場等で使われているオフセット印刷やスクリーン印刷など,版を使用するプリント(印刷)方式を「アナログプリンティング(印刷)」と呼ぶことがある.

2008年に出版した書籍「インクジェット」は日本画像学会創立50周年を記念して取り組んだものであり,ほぼ同時期に出版された他の3冊も併せて「デジタルプリンタ技術シリーズ」と書籍の表紙に記載されている.2018年に出した「改訂版インクジェット」も,今月に出版される「画像処理」もデジタルプリンタシリーズである.

先日,学会のイベントでお会いした大先輩から「今の時代にインクジェットなどを“デジタル”プリンティングと呼ぶのはおかしいのではないか」と問われた.つまり今の時代に”デジタル”が表す意味は(受けとられる印象は),単に信号をデジタル処理するということではなく,デジタルならではのサービスや付加価値があってはじめてデジタルを名乗れるのではないかということである.
まさに私も同じことを考えており,このイベントの挨拶でサプライチェーンの上流から下流まで日本画像学会に取り込みたいと話した.つまりプリンティング技術が(イベントでは画像技術が,であったが)提供できるサービスや付加価値をサプライチェーン全体で考えなければならないということを言いたかったのである.

ところで信号処理の観点でもデジタルとアナログプリンティングを明確に分けるのも無理があるように感じている.従来の印刷も版を作成するCTPまではデジタルであり,インクジェットにおいてもヘッドに入る信号はデジタルだとしても(アナログ信号も入るが),インクが吐出されるメカニズム,インク滴が吐出されてメディアに画像を形成するプロセスはまさにアナログである.

これからも「デジタルプリンティング」と名乗れるよう,技術が創出できるサービス,付加価値をサプライチェーン全体で考えて行きたい.

ちびまる子ちゃんとリフィルモデル

ちびまる子ちゃんの声のTARAKOさんがお亡くなりになった. 実はこの2週間くらい,ちびまる子が表紙になっている昔のノートを取り出し,中身と格闘している. 20240312_01.jpg このノートに書きつけていたのは,インクのリフィルと,ノズルでのメニスカス振動をNavier-Stokesの運動方程式を使って解析的に解いた内容であり,おそらく当時の仕事内容を思い出すと1997~1998年頃に書いたものだと思う.だからこのノートを買ったのも1997年前後だと思うし,その頃は毎週テレビでちびまる子を観ていたな.

 オンデマンド型は今でもインクリフィルは毛管力のみに依存しており,単純なモデルではあるが25年以上前のこの仕事は,今でもわりと役に立つ.当時は自分のSUNのWork StationにFORTRANエミュレータを載せ,この結果をもとに数値計算し,別の実験結果による重回帰分析に基づいた設計ツールと併用していた. 今,サポートしているある会社からリフィルを予測できるツールの作成を頼まれ,EXCEL環境で数値的に解くツールを作成中だったわけである. なかなか忙しくノートの自分の字が汚いせいもあるが,当時は当然頭の中で理解していたことがノートに記されていないので,なかなか進んでいない.

ノートの裏表紙のちびまる子は,「まだできていないんだよね」「でも,あたしゃ頑張るよ」と言って私の声を代弁してくれているように見える. 20240312_03.jpg

宛名

inkucube.org宛てに郵便が来た.私の名前無しで届いた初めての郵便だ.でも考えてみれば住所さえ合っていれば宛名は何でも届くだろう.そう思った次に考えたのは,差し出した人がよくinkcube.orgだけで出したものだと.内容は講演に関するものであったが,私個人というよりinkcube.orgを意識していたのだろう.それはそれで新しい変化かもしれない.

 さて11月19日に書いたコンシューマー向け記事に関して,いくつかの私のコメントがWEB記事に掲載された.開発メーカー(技術者)と消費者(ユーザー)との間の意識ギャップを埋める文章として「インクジェットプリンターは物理・化学現象を高度な技術の絶妙な組み合わせで制御し,品質を保証している商品です.」と書いた.これでユーザーの不満が解消できるとは思わないが,少しでも使っている人が大事に商品を使ってくれればと思うし,開発メーカー側もユーザーの理解を得る努力を惜しまないで欲しいと思う. この日に書いた仕事のWindowが無くなっているという話であるが,やはりこの状況は解消されなかった.ただし減らす活動は絞れてきたし,また今すぐではなく半年後まで猶予ができたということで,今年の私のMemorandumは終わりにしたいと思います.

 

大学からの帰り道

先日,以前から存じてあげておりコロナ前には良く学会等でお会いしていたある大学の先生に呼ばれ,研究室を訪問してきた.先生の研究テーマに関し困っていることがあり助言が欲しいとのことだった.この先生は流体力学,音響学の専門家であり,いくら私がインクジェットの経験が長く知識があるといっても,先生の(おそらく高度な)困りごとに応えることができるか心配であった. まずはお互いの近況や先生の他の研究テーマの状況を聞いた後,困りごとを抱えるそのテーマの実験室に移動して,装置を動かしながらディスカッションを行った.実験室で過ごした約2時間のあいだ,先生や学生の質問に対する私の回答や,種々の問題点に対する私の意見について,先生も学生も熱心にメモをとっておられ,また私の説明についてさらなる質問をされていた.そんなことから少しは私が来たかいがあったのかなと安堵して帰路についた. 私の回答や様々な説明は,おそらくインクジェットの経験者ならある程度は同じようにできたかもしれないと思う.大学からの帰り道,そう思いながらもうひとつと強く思ったのは,まさにこれが機能分担型進化 の一過程になるかもしれないということであった.実験室での私の話は先生のテーマの原理(本質的な流体力学や音響学)に及ぶ高度な内容にはなっていないと思う.しかし先生が私の話を聞かれて,本質的なこと(原理)の「パラメータの範囲では解決出来ないのかもしれない」,と帰り際に私に言われたことは,まさに他のシステムを導入し,大きな課題解決の機能を分担する機能分担型の進化の必要性を先生が感じられたのかもしれない.(大学から帰る電車の中で,このメモを書き始めたので,このタイトルにした) 先生が私に連絡をくださったのも,きっと先生のTransactive Memoryの中でこのテーマ問題に関し私がひっかかったのだと思う. 大学を訪問した前の週,友人に誘われ友人が勤める会社を訪問し,若手技術者と話をした.その際,狭い領域の中だけでがむしゃらに頑張るだけではなく,機能分担型もイノベーションを起こすアプローチであり,そのために必要なのがTransactional Memoryだという話をした. まさかその翌週に自分でそれを認識する機会に出会うとは思ってもみなかった.このことをぜひ,先週訪問した会社の若手に伝えてあげたいのだが,このメモを読んでくれていると良いなと思う. 例年より遅い大学構内の鮮やかな紅葉とともに,私にとっても記憶に残る午後であった. p.s. 上の文章で「インクジェットの経験者ならある程度は同じようにできたかもしれない」と書いた.まさに枯れた技術を挑戦者に移転するという,inkcube.orgの狙いそのものであることも,ここで強く伝えておきたい.

Window

先日コンシューマー向け商品の記事や情報を発信するネットメディアからインタビューを受けた.インタビューの目的からは少し脱線したが,インクジェットプリンタに搭載されている技術が,非常に緻密で繊細で高度な技術の塊であり(インクジェットプリンタに限った話ではないが),これが商品の提供側(開発メーカー)と消費者(ユーザー)との間の意識や問題の把握レベルについてギャップを生み出しているという持論を紹介した.

例えばサーマルインクジェットで言えば,太陽表面で起きている核融合に匹敵するエネルギー密度があの微小なヒーターで生まれていることや,十数μmのノズルから吐出中の乾燥と紙上の乾燥のぎりぎりのせめぎあいでインク組成やメンテナンスが決まっていることなど.

幸いに(許容コスト範囲で)技術が提供できる性能と,ユーザーが(得られる価値として)許容できる性能に,わずかに共通するWindowがあるので商品化ができているのである.もちろんユーザー側はその事情を知ることもできないし,知る必要もないと思う.そこでユーザーは正直な意見,感想として例えば「メーカー同士でのインク互換性は何故できないのか」とか「メンテナンスがうるさい」,「インクが残っているのに交換警告が出た」といった苦情が出てくるのである(2021年7月21日のメモにも記載した).メーカー側も苦情に対して言いたい正当な理由はあり,その実情をユーザーに丁寧に説明すべきではあるが,決して押し付けてはいけない.この日のオチとしては,だから間に立つメディアが商品を構成する技術も理解した上で記事を書いて欲しいという注文になったのだが.

 

今日の本題はここから.上の文章と共通するのはWindowという言葉だけかもしれないが.会社に在籍中も会社の業務でだけでなく学会,研究者・技術者としての使命としてのinkcube.org・大学の研究者としての活動,もちろん家庭人としての時間や暮らし.多くの活動を並行して進め両立させていた.退職後も趣味に生きる老後や孫の世話に時間を費やす生活を夢見ていたわけではないが,退職前からの内容はさらに濃く,忙しくなり,新たに契約を交わした仕事,大学院での授業や研究まで加わり,全て自分で望んでやっていることばかりだが,すでに消えかかっていた両立できるWindowがほぼ無くなってきた.無くなるだけならぎりぎりやってもいけるところ,お互いの領域を妨害し始めようとしている.これまでそれぞれが全く別物ではなく,重なっても良い関係や反応が起きていたのだが,今はそれ以上にマイナスの面が生じようとしている.支える地盤(体力)も弱っているし.

これまでもいくつかは活動の一部を減らし,誰かに任せその状況を回避してきたが,いよいよどれか活動そのものを大きく除外しないと,全てが動かなくなってしまう状況になってきた.

それで何を外すのか,外さないといけないのか,それともまだぎりぎりで乗り切る,例えば2次元的なWindowではなく,3次元的なSpaceとして確保できるか.年内に結論を出さなければいけない.

この話にはオチはない.もし年末に続報が書けたらWindow/Spaceが確保できたということである.

面接試験と多様性

先日面接試験を受けた.面接をしたのではなく面接される立場としてはおそらく管理職の昇格試験以来ではないだろうか(ということは25年振り??).全く緊張はしなかったが,いくつか質問を受けた中で,別の答え方をすれば良かったなと思うものがある.

何の面接を受けたかわかってしまうので質問内容は書かないが,多様性が大事だということを回答の中に含めれば良かったと思う質問があった.

「多様性が大切」ということは様々な場面で言われることである.「イノベーション」「多様性」で検索すれば,多くの解説を読むことができるだろう.しかし多くの場合,柔軟性が高くなり様々なアプローチ法が生まれる,というようにどちらかといえばアウトプットでのメリットに重点をおいているものが多い.(環境変化に対する種の生き残りも,多様性とも考えることが出来る突然変異が存在するからである,と考えることも出来る)

それも間違いではないが,多様性の重要さはもっと上流にあると思う.組織に様々な属性のメンバーがいる場合(これをここでは多様性としよう),自分の経験からも組織の中で[衝突]や[流れの変化]が必ず起こる.たしかに組織のマネージメントにとってはこれを厄介に感じる場合もあるし,それは仕方がない.しかしこれらをポジティブに捉えなければいけない.衝突や流れの変化が起こるからこそ,(均一性の高い組織では気づかない)対応しなければいけない新たな課題や,事象を捉える別な側面に気づくのである.

それらに気づかなければ,アウトプットにおける対応の多様性も無意味である.

こういう起点における多様性の重要性について言っている人も必ずいると思うのだが,あまり聞いたことが無い.なぜか,それは組織での衝突や変化への対応,ポジティブな対応は非常に高いマネージメント力を必要とするからではないだろうか.「イノベーション」「多様性」を声高に言う人の中に,はたしてどれだけ実際のマネージメントでこれを実践した人がいるのだろうか.